後のことは

 2月に亡くなったAとは、お互いが経済的て苦しい時に、よく隠れるように生活していた大阪で。彼は僕より一つ下だから、まあ僕には長幼の礼はそれなりにしていたと思うが、あとで色々聞くと同期または後輩には受けは悪かったようだ。まあ人は目上の人に対する態度とその逆の時に態度が違うのはある程度は仕方ない、両方から「良い人」と言うのもまた問題かも知れないが。四国の縫製工場に行った時に、そこの社長から「まあ折角きたのだから職員に何か話しをしてくれ」と言われて彼は「後工程のことを考えて仕事せよ」見たいなことを話した。突然の指名だったが、たまには良いこと言うな、と少しは感心したものだ。横堀川のたもと、島之内の小さな部屋で隠れるように生活していたのは25.6年前になるかな。四国の社長も昨年亡くなった。

今回の旅にも話題になるだろうが、僕には良いやつだったよ。


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