明の永楽帝は

 永楽帝(棣)は始祖朱元璋の第四子である。長子の二代目は早くから決まっていたが、早逝する。器から言っても、棣が二代目になった方が良かった、また朱元璋もそうすると言ったが、詔の決めるところ長子相続の長子が後継となり二代目建文帝となる。よくある様に建文帝は叔父達を排除する。有実無実を問わず叔父達、つまり父親の弟達を殺していく。いよいよ棣にも、そこで棣は反乱する。長い内乱のすえに第3代、明の皇帝となり永楽帝となの。中国王朝はすべからく平民が王となり皇帝を名乗りそして内乱の末、また平民が皇帝となる、この歴史である。
 平民上がりの皇帝が「天子」を名乗るのである。一つの理由は多民族であること、他にも多々理由はある。

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