M君の思い出    2〜

 M君の事を少し話しておこう。彼とは40代終わり頃に知りあった。私が苦しくなってきた時だった。彼は当時、流行り出した通販会社にいた。四国に本社のあるC社、大阪に本社のT社、彼の会社は準メジャーのS社で、彼は仕入販売部長をしていた。とある仕入れ先との事で上司と喧嘩して、退社した。気骨もあるが頑固なところのある男だった。彼は独立して、堺筋本町のアーバンライフで机を並べてそれぞれが小さな会社を営んでいた。彼とはジャズで趣味が合い、小さな部屋でジャズを掛けて、これは1972年の「ビレッジバンガード」の「マイフェイバリットシングス」だとか「いや76年の巴里」だとか論争していた。やがて私は西播磨の老人施設の勤め人となり、彼はそのまま、仕事のない日々を過ごしていたと思う。私がアーバンライフを売り、大阪と縁が切れてからあまり交友も無かった。
 私も彼を気遣う余裕が無かった。やがて、彼の姉からの"通知"があった。彼が金剛にマンションを持っていて二回程泊まったことがある。いいマンションだった。実家の母親のこと、そのマンションのこと、色々あったのだと思う。
 夢に出て来た「大阪国際ホテル」のバー「オーク」には二、三回行った二人で、二人とも金の無い日々だった。もう一度、彼と会ってたとしても、何も変わらなかった、とは思うが、もう一度会っていれば、、、とも思う。夢を見たのも何かの縁(えにし)かも知れないね。


コメント

人気の投稿