逍遥学派




 これは以前も書いたが、、

ギリシャ逍遥学派と言うのはいつも同じ道を歩いて「哲学的議論」をした。京都大学の近くに「哲学の道」てのがある。西田機太郎などが散歩しながら思索に耽ったのであろう。景色がいつも通りだと、思念、想念が深まる、と言うことだ。
 今日、私はいつもの道を悄揺していた。ある俳優の名前が出てこない、「アンタッチャブル」「オーシャンズイレブン」の悪役、近くは「運び屋」のマフィアのボス。名前が出てこない、顔は思い出す、古い「背徳の囁き」から「運び屋」までの顔は、またその役所も思い出す。しかし、名前が、、、そこで私は、画像つまり顔、絵画、景色などは思い出せる、これは?つまり記憶の在所(ありか)がちがうのではないか、と。画像の記憶には余り悪い記憶はない、しかし、書面、字面には悪い記憶が多い。試験、税金申告書、違反切符などなど、書面と画材の記憶のありかは違う場所だろう、と。
 海馬の中の頭と尻尾に「ありか」が分かれているのではないか、という思索であった。やはり散歩はやめられないや!
自宅付近でやっと思い出した、アンディ・ガルシア、だ!

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