「春に散る」 その3

 後編を読み進むに連れて、僕の恐れは増していった。前編で予測したようにストーリーは展開するからである。20章、最終章でそれは安心に変わった。予想と少し違っていたからだ。デジャヴは本でもあるのか、と一時思ったが、それだけの予想できるストーリーだったのはボクシングの話であることと、沢木耕太郎が書いたからではないか、と思う。同世代、彼のルポは好きだ、だからどこかで彼の感覚が移っていたのではと思う。逆に言えば彼には申し訳ないが「予測可能」な小説であったとも言える、ついでに言えば、もう一皮むけないと小説としては一流にはならないのではないか、とも思った。もし沢木耕太郎氏がこの意見を目にすることがあれば、批判こそが飛躍への肥料だと思っていただければ幸いです。
映画は観に行きます。この小説がどのような脚本になっているか見るために。
 この城には批判の糸口さえない。そして認知症外来には行かずに済んだ。

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