マチウ書試論の中で

 「マチウ書試論」の中、ジュジュ(イエスのこと)の「山上の垂訓」で"苦しみある者は幸せである。彼らは慰められるだろうから"ほか本来なら苦しいはずのものは幸せとの箴言が羅列される。すると親鸞の「善人なおもて往生遂ぐ言わんや悪人おや」が思い浮かぶ。これは教訓するには避けられない言葉になるのだろうか?我が遅まきの研究もその途に着いたに過ぎない、のだなあ。

「マチウ書試論」を読み「最後の親鸞」を読み西村賢太を読み、フィリップ・ロスと大江健三郎を読む、すると「カラマーゾフの兄弟」も、となってくる。日暮れて路遠し、だけど。

気分転換に"散髪"を!

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