携帯電話と未来

 30数年前、大きな羊羹のような携帯電話を持って、大して掛からないのにイキがっていた時代から現在、確かに便利になった、約束の場所で会えないことも無くなった、色んな情報が即時に世界的規模で入ってくる、まあ素晴らしいことがたくさんある。しかし、チャットAIやフェイクニュースや違反画像や新しい犯罪や難問を人類は抱えることになった。
 今更、手洗いで洗濯をすること、カーボンコピーで手紙を送ること、新聞、テレビでニュースを知った時代には戻れない。国やプラットフォームが規制、これも後追いで効果が出始めることには悪いヤツらはもう笑って先に行っている。ほんとは壁掛け電話のハンドルを回していた時代が良かったのかも知れない。利便性には代償が要るのは当たり前、この先の世界を俺たち老人はもうすぐ見なくて済むようになる。人類はいつまで棲息できるかを知らないで済む、いいか悪いかは別にして。

 哀しいけど、人類は戦争をし、差別をし、抑圧し、そして荒廃を呼ぶことに躊躇しない、ある人が
「神は試しておられる」と言った。神はいつまで試されるのか、ね?
 中世仏教は「だから早く浄土に行け」と説いた。
浄土があれば、の話だけど。
人類は苦しみという水の中から時々顔を出して「愉しみ」と言う空気を吸ってるのかも知れない、逆ならいいんだけどね。

  10年前の今日

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