過日の話しから、

 大学の写真から、あの中央キャンパスの樅木を切った奴は誰や、となって
「そうそう経済学部のYやろ」となり
「Yは神学部の〇〇と一緒になった」とかの話になり、往時を偲ぶ話になった。当時学園は無政府状態というか、それこそ自由学園であった。2〜30本の樅木(昨年の秋に、居た学生には杉か檜と言ってしまったが)を切り倒して、それでもポリ、ノンポリも黙って何も言わずに見つめていた50数年前、ある意味、平和であったと言えるだろう。
 で下記の写真は誰かな、とかにもなって、かすかにセクトの字も読み取れるが、女性は誰?思い出せないなあ、こんな人居た?だって大昔だからね、とまた笑うことになる。そこで僕が言う
"思い出は抱いて生きていけるが、思い出とは生活できないね!"と、すると誰かが"思い出では食えないなあ"とか、少し形而上学的になりすぎてしまったよ。
本人は見たら分かるやろね。半世紀も前の話しだから何もかも時効だよね。ところで浮気の時効てあるのか?アホか!

コメント

人気の投稿