堀端逍遥派

 三左衛門堀のそばを歩きながら考えた。くどいようだが見慣れた景色を中を歩くと思念が思索が深くなる。今回はこれだ、苦痛は忘れる忘れられるが、快楽はいつでも思い出せる、てことだ。40代に金に困ったこと、生検の拷問に似た苦痛、徹夜の作業の空腹と疲労、などなどは今となっては思い出すことがある意味たのしさにさえなっているかも知れない。ところが過去の快楽や楽しき思い出はいつでもすぐに思い出せるし、そのことに不都合がない。器官学的には海馬や大脳の問題になるのかも知れないが、本日の哲学でありました。

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