日はこの様に進む

 サルトル風に書くと今はこんな風になる、かな

 私は時間が私自身を追い越してくれるのを楽しみにしているようにだらだらとしている、時間の不可逆性が私自身の思考の不可逆性を証明するように、私の思いを確認しつつある。それは、あたかもこの数日起こったことが私のよく見る夢の中のことのように、現実との区別がつかなくなっている、と思いたいようだった。時々聞こえてくる子供の嬌声がすぐ近くのようにも遥か青空の彼方から聞こえてくるようにも思えるのもその証明かも知れない。自分ではきちんと見よとの声に押されてはいるが片方では嗚呼どうせ夢さと逃れるようになるのだとは自分を正当化しているのだ。午前のだらだらとした時間だけが我を忘れずに仕事をこなしているようだ。そして時間だけが今この世界でもっとも信頼できる秤のようにも思える。



 

 以前、家人に「怪我をして10日ほどすれば治ると言うような入院をしてみたい」と言ったことがある。今の形は似ていなくもないが、大きく違うところがある。まあ尊大なことを言ったものだと大いに反省している。

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